広い北海道には、さまざまなまつりや民俗芸能があります。松前藩時代から受け継がれたものから、開拓団が出身地方のまつりや民俗芸能を持ち込んだもの、近年のまちおこしイベントから始まり地域のまつりとして定着したものまで、人びとの息吹がつたわってきます。
※アイヌ文化の伝統のまつりについては、アイヌ文化「カムイへの祈り—信仰」をご覧ください。
江戸時代から続く伝統
北海道の沿岸部には、江戸時代からつづく伝統的な祭りや民俗芸能が受け継がれています。これらの祭りや民俗芸能は、ニシン漁にまつわるものや、北前船を通じて交流が盛んだった北陸地方や畿内の影響を受けたものがみられます。
江差町の「姥神(うばがみ)大神宮御祭」の起源はおよそ370年前にさかのぼるとされ、北海道でも古い祭りといえます。毎年8月9日からの3日間、祭礼と神輿渡御にあわせて「ヤマ」と呼ばれる13の山車が町内をまわります。
姥髪大神宮で最も古い神輿は、1694(元禄7)年のものです。また、山車の中でも「神功山」の神功皇后は宝暦年間(1754〜1762年)に京都の人形問屋が納めたものとされ、畿内との深いつながりをみることができます。神輿や山車の豪華さ、歴史、地域の人が寄せる想い、いずれをとっても北海道はもとより日本を代表する祭りといえます。
福島町の「福島大神宮例大祭」も古い祭りで、その起源は1573(天正元)年とされ、1897(明治30)年には、現在のような形態で行われています。この例大祭の神輿渡御では、奴行列ともいわれる大名行列や、四ヶ散米(しかさご)行列などの祭礼行列が呼び物となっています。
松前藩時代の栄華を伝える民俗芸能として「松前神楽」が知られています。かつては城中で舞われていたことから「お城神楽」とも呼ばれ、現在では、道南一帯から小樽など後志地方から、苫前町といった日本海沿岸地域で伝承されています。
また人びとに歌いつがれた民謡として、北前船で伝わった追分節が定着したとされる江差追分や松前追分、ニシン場の作業唄だったソーラン節などの沖揚げ音頭がいまも歌いつがれています。
伝統を守りながらも北海道らしく
日本各地から北海道に入植した団体移民は、母村のまつりや民俗芸能をもちこみ、心のより所としてきました。なかでも浄土真宗の信仰があつい富山県移民は地域の伝統行事である獅子舞を各地に伝えました。
深川市の「多度志(たどし)神社例大祭」に伝わる「多度志獅子舞」は2頭の獅子が猪退治するもので富山県東砺波郡上平村の猪の谷が発祥とされます。道内に多数ある富山県由来の獅子舞の中でもオリジナルの姿をよく今に伝えています。
妹背牛町の「妹背牛神社例祭」では富山県由来の「妹背牛町獅子舞」に加え、四国の移住者が伝えた地神宮が見られるなど、東西の文化が融合した北海道らしい祭りとなっています。
また室蘭で行われている「室蘭神楽」は、1901(明治34)年に新潟県三条市伝承の三条神楽が室蘭八幡宮に伝わったのが始まりで、33ある舞のうち「鯨神(げいしん)の舞」は昭和初期に室蘭で創作奉納されたものです。本州から伝わった伝統芸能が北海道で新たな伝統を加えながら根付いていったことを示しています。
8月には道内各地で盆踊りが盛大に行われますが、ここで使われる楽曲の多くが「北海盆唄」です。この「北海盆唄」は、三笠市の幾春別炭鉱の人たちが踊っていた「べっちょ節」を、1940(昭和15)年頃、民謡研究家の今井篁山(こうざん)が、多くの人に親しまれるようにと歌詞を改めて「北海炭坑節」としたのが始まりとされています。
世界に認められた冬のイベント
アジアのなかで寒冷地にあり、降雪量の多い北海道は、「冬の祭り」がアジアや世界に注目されています。
その代表は、1950(昭和25)年開始と70年にも満たない歴史ながら日本を代表するまつりに成長した「さっぽろ雪まつり」でしょう。今では240万人もの来場者を誇るこの祭りも始まりは地元の中・高校生が大通公園につくった6つの雪像でした。海外のガイドブックにも広く取り上げられ、毎年海外からの来場者が多数訪れることでも知られています。
旭川市の「冬まつり」はさっぽろ雪まつりを上回る大雪像で知られ、1946(昭和21)年開始と札幌よりも長い歴史を誇ります。また小樽市で開催される幻想的な「雪あかりの路」や、函館市の光のイルミネーション「はこだて冬フェスティバル」も、北海道の冬を楽しむイベントとして定着しています。
壮瞥町の「昭和新山国際雪合戦」は、1989(平成元)年に冬期間閑散とする地域を盛り上げようと始まったまちおこしイベントです。ここで策定されたルールが世界的な広まりを見せ、現在では10カ国で大会・イベントが行われる世界的なスポーツへと発展しています。雪まつりと並んで冬を楽しくすごそうとする道民の創意工夫が世界に認められた例です。